sukekiyo-kunのモーレツ!小ネタ教室!

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閑話・・・世が世ならsukekiyo-kunの街が首都だった?

 皆様こんばんわ。あるいはこんにちは。本日は在住している加古川という街について、ちょっと語りたいと思います。25万都市でありながら、地味で目立たない街であるため、加古川在住と言っても、なかなかピンとこない人が多いようです。大学で奈良市在住の人に「加古川です」と言っても、「??」という反応しかされないため、「明石と姫路の中間ですよ・・・」と説明したら、ようやくイメージが出てきたようで、「東大阪からは結構遠いですね?」という答えが返ってくるのが通常でした。

 そして、「そう、私鉄なら片道3時間かかりますね」と言ったらドン引きされました。奈良から近鉄を使えば、片道一時間ほどですからね。異世界の住人に映ったように見えたとしても、不思議はありません。若き日、一回目の大学生だった頃もそうでした。山陽→阪急神戸線→十三で乗り換えて千里線で、約2時間の道のりでしたが、「加古川?? どこ?」みたいな反応がほとんどでした。高校つながりで、歌手の菅原洋一氏が先輩だったり、レイザーラモンHG氏が後輩だったり。結構有名人を輩出しているのですが、それでも反応はイマイチ。もともと生まれは神戸だったので、そのままであれば通学も近いし、知名度もあるし何かと便利だったのですが、阪神淡路大震災の時に神戸在住のままであったら、命はなかったかも知れません。

 このように極めて知名度の低い街ではありますが、戦前の関東大震災のあと、加古川に遷都という構想が持ち上がったことがありました。その理由として、

① 播州平野は、歴史上大きな地震に見舞われていない

② 市内を貫通して流れる加古川は、水の質量とも優れていて、まず水資源に困ることはない。

③ 大きな貿易港の神戸に近い。

④ 工場生産や商都の機能は、大阪~神戸に任せて、統治機能だけ加古川に任せることで、一局集中も防げる。(米国流にニューヨークとワシントンみたいな関係)

⑤ 平清盛が福原遷都した際に、加古川も候補にあがっていた。

⑥ 丘陵など地形が軍事的に適している。防空施設の構築がやりやすい。

 だそうです。もっとも、理由①は阪神淡路大震災の発生によって、覆されることになりました。震源地から遠い県北部の豊岡でも震度5を記録したほどです。

 さらに、明石海峡から東側か西側かによって、くっきりと明暗が分かれました。明石海峡より西側に位置する加古川。ここもかなり揺れました。(実体験は来年の1月17日に触れたいと思います)しかし家屋倒壊とかはほとんどありませんでした。電気・ガス・水道のインフラもほぼ無傷。実家の被害も、風呂場のタイルにヒビが走った程度です。ただ加古川の東隣になる、加古郡播磨町にある友人宅は、2階のベランダが落ちたようです。若干明石寄りだったので被害があったのかと・・・。

 知名度で言うと西隣の10万都市・高砂市のほうが上だと思いますが、首都機能移転の話がもちあがった。それだけでも魅力のある街なんですかね? とくにこれと言った名物があるわけでもなし・・・。あ・・・・・・ニッチなグルメの”カツ飯”がありましたか。カツ丼でもカツカレーでもなく、皿に盛られたライスにトンカツのせて、デミグラスソースをかけて食すという文化です。それではまた・・・。